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ときわんジャーナル

大地震で沢山のお金が焼けたり、傷ついた時、どのような対応がされたのでしょうか?

20.03.25

お知らせ

こんにちは!ときわ総合サービスのおもてなし担当社員の「ときわん」です。

先日、「紙幣が破れてしまった!そのまま使えるの?交換できるの?」というコラムで、紙幣が焼けたり、貨幣が損傷した時に、どのようにすれば新しい紙幣や貨幣と交換できるか、お話をさせて頂きましたね。

大きな災害が起きた時には、尊い人命が失われるのはもとより、家屋が倒壊したり、焼けたりする結果、普段では考えられないほど、多くの紙幣や貨幣も損傷して使えなくなります。

わが国はこれまで何度も大きな災害に見舞われていますが、その中でもお父さんから聞かされた、1995年に起きた阪神淡路大震災の話は忘れることができません。

そして2011年に起きた東日本大震災の恐ろしさはボクも明確に覚えています!

お父さんが話してくれた阪神淡路大震災の思い出

早いもので、もう25年も昔のことになりますが、1995年1月17日5時46分、マグニチュード7.3の大地震が阪神間と淡路島を中心とする近畿圏を襲いました。わが国において、第二次世界大戦以後では当時最大の災害であり、犠牲者は約6400人に、全半壊家屋は約25万戸にも及びました。

ボクが働いている会社の元社長である遠藤勝裕さんは、当時、日本銀行の神戸支店長でした。

遠藤さんの書いた手記を取りまとめた書籍(阪神大震災―日銀神戸支店長の行動日記―「日本信用調査(現ときわ総合サービス)発行)を読み返しますと、その時の緊迫した様子が伝わってきます。

本.png

「金融特例措置」の発動

大きな地震が起きたら、何をさておき、命を守ることや怪我をしないために避難することが一番大切です。地震が収まったところで、家族や親戚の無事を確認し、まずはほっとします。そしてそう!水や食糧は!

今でこそ「防災セット」などの非常用グッズが充実し、ホームセンターなどで販売されています。しかし、阪神淡路大震災が起きた頃はまだまだ普及していませんでした。ある程度の備蓄があれば安心ですが、もしなければどこかでお金を払って手に入れなければなりません。

その時、お金を入れた財布や銀行の預金通帳が、燃えてしまっていたり、がれきの下敷きになって持ち出せない!という困った事態も想定されます。

このような市民の不安感・不自由を心配した、遠藤日銀支店長と、近畿財務局の神戸財務事務所長は、二人の連名で「今般の地震災害に伴う金融特例措置について」を起案し、発動しました。

先に紹介した書籍には、二人の名前が記載され、金融機関に宛てられた手書きの書面が掲載されています。

手書き.png

そこには「預金証書・通帳を紛(焼)失した場合でも預金者であることを確認して払い戻しに応じること」「届出の印鑑のない場合には拇印にて応ずること」「よごれた紙幣の引換えに応ずること」などが記載されています。停電のために手書きで作られた「特例措置」からは、当時の身も引き締まるような緊張感が伝わってきます。

火事で焼けてしまった大量の紙幣と貨幣の処理

先ほどご紹介したボクのコラムでもお話しましたが、損傷したお金は、通常であれば最寄りの金融機関で正規のお金に交換してくれます。

ですが、阪神淡路大震災のような大災害では、信じられないほど沢山の損傷通貨が発生します。とくに神戸市西部の長田区では、木造住宅が密集している地域を中心に大規模火災が発生したこともあり、この火災により沢山の紙幣や貨幣が焼けてしまいました。

地元の金融機関も震災で大きな被害を受けており、損傷通貨の引換えに対応する余力が乏しかったこともあり、地域の通貨の発行・流通を担っている日本銀行神戸支店には、沢山の損傷通貨が持ち込まれました。

長田火事.jpg

日銀神戸支店、発券課員の活躍

「阪神大震災―日銀神戸支店長の行動日記―」に記述されている、その時の状況を一部ご紹介しますね。

焼けた紙幣を持った人が窓口に走る間に、残った火種へ酸素が供給され、紙幣が再び燃え上がったというのが、引換の第一号。

小学生の女子児童が「お年玉が燃えちゃったの」と、しょげて持ち込んだ紙幣を復元したところ、「万歳!万歳!」と喜んでくれて窓口が明るくなったという心温まるエピソード。

地元中小企業の経理課長さんが、「このお金がないとやっていけない」と悲壮な表情で金庫ごと持ち込まれたが、その中に保管されていたお金を無事全額引換えることができたこと......。

そこでは感動的なドラマが繰り広げられています。

そして長田のお蕎麦屋さんからのSOSの電話!

「紙幣を取り出そうとすると崩れてバラバラになってしまいそう。お願いだから助けて欲しい」という声に応え、日銀神戸支店の発券課員が現場に出向き、慎重に紙幣を持ち帰り、無事引換えを行ったことも記載されています。

その発券課員の「長年発券マンをやっていますが、今ほどこの仕事をやっていて良かったと思ったことはありません」というジーンとくる逸話も紹介されています。

ボクの胸も思わず熱くなってしまいました。

今でも忘れることができない東日本大震災の思い出

2011年3月11日の14時46分に、マグニチュード9.0の巨大地震が東北地方の太平洋岸を中心とする東日本を襲います。これは発生当時、日本周辺における観測史上最大の地震でした。死者・行方不明者は約1万8千人強に、建物の全半壊は約40万5千戸に上りました。

大地震による建物倒壊、その直後に海岸線を襲った巨大津波、そして原子力発電所の重大事故の発生。震災復旧に当たっても、地震に伴う交通網の寸断に電力不足が追い打ちを掛けます。

東日本大震災.jpg

この時も大地震発生の当日、間髪を入れずに「金融特例措置」が発動されています。

津波に巻き込まれた大量のお金は、どのようにして引き換えられたのでしょうか

東日本大震災の時には、損傷した紙幣や貨幣が個人の方からも、沢山引換に持ち込まれました。

ただ、この震災において極めて特徴的な点は、津波で流された、金庫やATM,レジや自動販売機等に保管されていた銀行券や貨幣が大量に引換に持ち込まれたことです。

紙幣や貨幣は泥まみれの状態で固まってしまっており、綺麗な水で汚れを落としながら、一枚一枚を鑑定し、引換を行うといった作業には相当の時間を要しました。

津波海岸線.jpg

この時も通貨の発行・流通を担っている日本銀行では、被災地に位置する仙台・福島・青森支店の発券課が全力を上げて引換対応を開始しています。

また、震災で大きな被害を受けた中で日銀の支店が唯一存在していない岩手県については、3/20日に盛岡に所在している岩手銀行本店内に臨時引換え窓口を開設して対応を行っています。

引換業務が増加を始めたのは、震災直後の対応が一段落した大型連休明け頃からであり、お盆休み頃までがピークとなりました。

最終的には阪神淡路大震災の引換え額4億円の4倍以上となる38億円が引換えられました。枚数でいえば、銀行券48万枚、貨幣424万枚が処理されたことになります。

この間の動きは日本銀行のHPに掲載されている「日銀探訪第1回」に記されています。

そこでは「これだけの(引換え)量は、日銀の歴史の中で最大。避難した人が、日銀本店や九州の支店にまで持ち込んだケースもあった。金融機関や警備輸送会社も、顧客の現金の回収・整理に奔走した。民間関係者の協力があって、ほぼ乗り切ることができた」と総括されています。

現場が支えた「円」の信用

ボクも当時読んだ新聞のコラムをはっきりと覚えています。

そのコラムには、損傷した紙幣や貨幣は、物理学者の目からみればただの汚れた紙切れであり、腐食した金属かもしれない。それが価値を持ち続けることができるのは、人々がその価値を信じて疑わないからだ、とありました。

また、それを日常の生活において支えているのが、紙幣や貨幣の役割。時間と戦いながら、ピンセットを片手に現金の鑑定を続ける日銀の職員は、通貨の価値を守る縁の下の力持ちであり、荒れ果てた光景が世界に流れても、円相場は崩れなかった。

この国の現場がしっかりと機能していることを保証している市場の声が聞こえる、とも述べられていたように記憶しています。

このような知識を持ってお金を眺めると、不思議な気持ちが湧いてきますね。

お金が大切であることはみんな知っていますが、大地震の特集などを目にする機会に「お金の元にある通貨の信用とは何か」改めて考えてみることも、意味のあることではないでしょうか。

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