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19.05.23
こんにちは!ときわ総合サービスのおもてなし担当社員の「ときわん」です。
新しい銀行券の発行が公表されるたびに話題になるのが「肖像」ですよね。
一度は名前を聞いたことがあり、偉人であることは知っていても、なぜその人物が選ばれたのか、という基準などははっきり分からないのではないでしょうか。
銀行券の肖像は単に知名度が高い人物が選ばれるのではなく、その選定方法にも一定のルールがあります。
どんな選定基準・選定方法で肖像が選ばれたのか、2024年度上期に発行予定の新しい日本銀行券も含め、早速みていくこととしましょう!
銀行券に使われる人物は、次の機関により選定されています。
肖像をはじめとする銀行券の様式は、通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の三者で協議し、最終的には日本銀行法によって財務大臣が定めることとなっています。
もちろん銀行券には人物だけでなく細かくデザインされた様々な図柄が印刷されるほか、最新の偽造防止技術が搭載されます。
細部まで検討された案を三者間で協議したうえで、最終的には財務大臣が定め、国民へ公表、発行される、という仕組みになっています。
単に知名度が高いだけではなく様々な条件をクリアした人物の中から選ばれ、決定されます。
主な条件としては次のような事柄があげられています。
銀行券は小さなお子さまからご年配の方まで幅広い人が利用します。
いずれの年代の人にも馴染みのある、知名度の高い明治以降の日本を支えた人物から選抜します。
日本銀行券は日本人だけでなく海外からの旅行客やビジネスマンも使用します。
日本の歴史や文化が感じられる、日本が世界に誇れる人物であることも一つの基準といえます。
以前は伊藤博文など政治家が選ばれることもありましたが、2004年の改刷以降、政治家は避け、文化人の中から選定するのがガイドラインとなりました。
偉大な人物であっても、実際に使用する国民一人ひとりがその元となる肖像画や写真を想像できなければ偽造券を見ても気づかない可能性があります。
また、最新の偽造防止技術を搭載するため、その人物のなるべく精密な肖像画や写真を入手できることが条件となります。
2024年度上期中に千円券・五千円券・一万円券の3種類の銀行券が刷新されることが公表されましたが、どんな人物なのか、知っていますか?
改めておさらいしておきましょう!
明治から昭和にかけて活躍した近代日本を代表する実業家。
日本資本主義の父であり、日本経済近代化への最大の功労者と言われています。
経済活動に中国の古典「論語」などに基づく倫理的な価値観を導入したことでも知られています。
明治初期に大蔵省(現在の財務省)を退官後、第一国立銀行や東京証券取引所など多種、多様な企業、組織の設立・育成に尽力しました。
生涯で渋沢栄一が興した企業は500とも600とも言われるほどです。
1871年(明治4年)、岩倉使節団に随行したわが国最初の女子留学生の一人。
1900年(同33年)に津田塾大学の前身「女子英学塾」を創立するなど、女性の地位の向上こそ日本の発展に繋がると信じて、「男性と協同して対等に力を発揮できる女性の育成」を目指し、より実践的な女子高等教育の確立に尽力しました。
真の教育には、教師の熱心、学生の研究心が大切であること、学生の個性に応じた指導のためには少人数教育が望ましいこと、さらに人間として女性としてall-roundでなければならないこと、を説いたことでも知られています。
「近代日本医学の父」と称される、近代日本を代表する医学者・細菌学者。
当時治療ができなかった破傷風やジフテリアといった細菌の抗体培養に成功、治療法や予防法の確立に貢献しました。
また、晩年は後進の育成にも深く携わり、北里大学、私立伝染病研究所、私立北里研究所を設立したほか、慶応義塾大学医学科(現在の慶応義塾大学医学部)の創立者兼初代医学科長も務めました。
銀行券のデザインには様々なマメ知識が隠されています。今回はその一部をご紹介します。
日本で肖像が採用されるようになったのは、1868年(明治元年)~1872年(同5年)にかけて政府が発行した「政府紙幣」からです。
政府紙幣には、神功皇后(じんぐうこうごう)と板垣退助の2名が登場しました。
その後1885年(同18年)に発行が開始された日本銀行券において、最も多く登場した人物は聖徳太子です。1930年(昭和5年)に初めて採用されて以来、戦前2回、戦後5回、計7回登場しています。
日本銀行券には、2004年の改刷を含め、17名の肖像が使われています。
なお、二千円札の紫式部は肖像画ではないため17名にはカウントしていません。
ちなみに、17名中、女性は樋口一葉だけです(政府紙幣まで含めると、前述の神宮皇后を加えた2名となります)。
日本のみならず肖像を銀行券に使用している国は多数あり、一説では世界の銀行券のうち7割が肖像を採用しているとも言われています。
日本の銀行券に肖像が使用されているのには、主に2つの理由があります。
1)人間は「人の顔」を認識する能力に長けており、顔つきや表情の微妙な変化にすぐ気が付くため、偽造防止に繋がります
2)今の日本を創った人物の肖像を銀行券に使用することにより、日本の歴史や文化に興味を持ってもらい、銀行券自体についても認識を深めてもらう狙いがあります
とくに、1)の理由から、世界中で肖像は銀行券に一番適切なデザインと考えられているのです。
日本銀行券の肖像はこれまで表面の右側に描かれるのが殆どでしたが、1957年(昭32年)から発行された五千円券の肖像は中央に描かれています。
これは当時の一万円券にも五千円券と同じく聖徳太子が採用されたため、両者の区別を容易にするための工夫でした。
また、一度だけ左側に描かれたことがあります。それは1915年(大正4年)に発行された十円券で、肖像には和気清麻呂が使用されています。
しかし、金融機関などで銀行券を勘定する際には、左手で銀行券を持ち肖像と向き合うようにして数えるのが一般的であるため、この銀行券が発行された時には「十円券だけ肖像が確認しにくく不便」との声が寄せられました。
それ以降、肖像が左側に描かれることはなくなったようです。
銀行券に肖像が取り入れられてから100年以上経過しましたが、人物の採用基準やその画像についてもいろいろなルールがあることがわかりました。
とはいえ、文化人を採用する、などその時代に合わせてルールそのものも変化しています。
なぜその人物にしたのか、どういう基準でその肖像が選ばれたのか、などその背景を知ることで、改刷が行われた当時の政治・経済環境や、その時代に社会で何が大切に思われていたのかといった価値観まで垣間見ることもできます。
銀行券のデザインの創られ方がわかると、銀行券をより身近で大切なものに感じられるかもしれませんね。