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ときわんジャーナル

お金の起源を教えます!過去から現在までのお金の歴史

19.04.22

お金の知識

こんにちは!ときわ総合サービスのおもてなし担当社員の「ときわん」です。


今ではとても身近で便利な「お金」ですが、世界各国で浸透するまでには色々な歴史がありました。

お金が誕生した背景や、世界と日本のはじまりの違いを知ると、お金をより身近で大切なモノ、と実感できるかもしれません。


今回は現在の経済活動に欠かせない「お金の起源や歴史」を紐解いて、お金に関する「明日使えるマメ知識」を蓄えていきましょう!

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お金が生まれるまではどうしていたの?

一度は社会科の授業などで聞いたことがあるかもしれませんが、お金が生まれる前は「物々交換」を行っていた、というのが現在の通説となっています。


その昔、各集落で猟師や漁師、農夫といった得意分野を持つ人々が、それぞれの得意分野の食糧を多めに確保し、必要に応じて不得手な分野の食糧と交換していました。

また、食糧以外のものが交換対象となることもしばしばありました。


しかしこの方法では、相手が自分の持っているものを欲しくない場合には、相手のものと交換してもらうことができません。

また食糧同士で交換すると、鮮度が異なる・得意分野のものと価値が釣り合わないといった問題も出てきます。


その後、人々は「物品交換」を行うようになります。

物々交換では直接欲しいもの同士を交換しますが、物品交換では「布・塩・貝・砂金(金と銀を配合したもの)」などの比較的価値が下がりにくい物品と欲しいものを交換します。


現在のお金の役割を特定の物品が担っていた、と考えると分かりやすいですよね。

とくに中国では貝(貝貨)を用いた物品交換が一般的となりました。今でも「財」「貯」「貨」などお金に関する漢字に「貝」が多く使われているのはこのためだといわれています。


ただ、この物品交換にも欠点がありました。

布や塩、貝などは物品交換を行わなくても製造や入手が可能でした。

また、砂金の配合率を変えること、つまり偽造が比較的容易で、適正な価値で取引をすることが困難なケースがあったのです。


そこで人々は、どの条件下でも同じ価値を持ったお金を使う「貨幣制度」を作りあげました。


現在、世界最古の貨幣(金属貨幣)と考えられているのは、紀元前670年頃にアナトリア半島(現在のトルコの一部)のリュディアで発明された「エレクトロン貨」です。

また世界最古の紙幣は中国の北宋時代(960年~1127年頃)に作られた「交子(こうし)」といわれています。



貨幣=お金じゃないの?新貨幣論って何?

先ほど、「物々交換」から「物品交換」を経て、やがて貨幣を使う「貨幣制度」が始まった、というお話をしましたが、21世紀に入り経済学者の間では、「物々交換や物品交換の発展形として貨幣制度・通貨制度が作られた訳ではない!」という説「新貨幣論」が浮上してきました。


この「新貨幣論」について、先行する実証研究も含め、平易に説明している代表的な参考文献として、フェリックス・マーティン著「21世紀の貨幣論」東洋経済社(2014年)があります。

ここでは「21世紀の貨幣論」のポイントを引用しながら、貨幣の起源に関する新説をご紹介しましょう。


まず「新貨幣論」では、貨幣制度はどうやって始まったと考えられているのでしょうか。

「『人々の取引は債権(請求)と債務(支払い)から成り立つ』という考え方は貨幣制度が導入される前からあった」というのがその「新しい説」の根底にあります。


具体的にいいますと、ミクロネシアのヤップ島にある「フェイ」という大きな石や、メソポタミア文明における「トークン(円錐や球あるいは円盤状をした小さな粘土塊)」を使用して、人々は取引内容を「記帳」し生活を営んでいた、という形跡を発見したのです。


ヤップ島のフェイは直径が30cmから1mに及ぶものもあり、貨幣のように取引のたびに受け渡しするのではありませんでした。

実際には冠婚葬祭などの贈答品や取引で差額が発生した場合にのみ「所有権」が移転していたようです。


普段の取引内容は「記帳」により履歴や残価などを管理していました。

(記帳には「フェイに直接刻んだ」説と「他の帳簿替わりのものに記帳した」説があります。)


同様に、メソポタミア文明の「トークン」について、1970年代、考古学者のデニス・シュマント=ベッセラは、各トークンは穀物や家畜を表しており、それを数えることで財産を記録したとしています。

さらに取引のたびにトークンを管理棚から管理棚へと移動させれば入出庫管理ができ、棚にあるトークンを数えれば在庫計算ができたというのです。


つまり、「物々交換」「物品交換」が行われていた確実な形跡はないとしたうえで、一定の債権・債務の仕組みは、貨幣制度が始まる前から存在しており、もっと広く交易を発展させるために貨幣制度を導入した、というのが「新貨幣論」なのです。


この考え方のもとでは、貨幣はあくまでも、債権・債務の取引やその根拠となる信用取引を具現化したものに過ぎない、ということになります。


もちろん現在の「通説」「新貨幣論」のいずれにもまだ研究の余地がありますが、今後通説が入れ替わるかもしれませんね。


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日本のお金のはじまりについて

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次に日本ではどのようにしてお金が発展してきたのか、見ていきましょう。



最古のお金は「和同開珎」か「富本銭」か

日本での最古のお金は、中国の開元通宝という貨幣をモデルに708年(和銅元年)に作られた「和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)」といわれています。

和同開珎は710年に新しく都となった平城京造営に伴う、労賃や資材購入などの支払いのために発行されたと考えられています。


しかし、さらに前の7世紀後半に作られた「富本銭(ふほんせん)」が、奈良県明日香村や平城京跡だけでなく長野県などでも発掘されています。

「富本銭」については、「広く流通した貨幣ではないか」という説のほかに、「まじない用の銭貨」という説もあります。


こちらも今後の研究により、その真偽が判明してくるかもしれませんね。



日本で初めての貨幣制度統一は?

和同開珎の誕生以降、10世紀半ば頃まで金属製のお金(銭貨)が発行されましたが、その一方で物品交換の文化も残っていました。

10世紀半ば以降は、銭貨は発行されなくなり、それまでもお金として使われてきた米、絹や麻の布などがその役割を果たしました。


12世紀半ば頃からは、中国の銭貨である「渡来銭(とらいせん)」が日本に流入し、13世紀以降、商品経済の発展とともに人々の間で広く使われるようになりました。

当時は、全国で同じお金を使用していたわけでなく、大名がその地域にだけ通用するお金を発行するなど、価値も違う貨幣が流通していました。


その後、天下統一を果たした徳川家康は、全国の金銀鉱山を直轄化するとともに、貨幣を作る技術を管理し、金貨・銀貨の製造体制を整備しました。

そして、国家として約650年ぶりに、大きさ・重さ・品位(金銀の含有率)などを統一した金貨と銀貨を発行しました。

中世から引き続き使われていた銭貨は、江戸幕府が発行した寛永通宝に統一されました。


徳川家康は、政治において天下統一を成し遂げたばかりでなく、経済においても貨幣統一に乗り出したのでした。


江戸時代には、各藩が幕府の貨幣や米など価値のあるものとの交換を保証し、領内で流通させる「藩札」が発行されました。

藩札の発行は17世紀後半から始まり、明治時代初までに200を超える藩で発行されました。



幕末から明治初期のお金を巡る混乱、新貨条例による円(圓)の導入

1958年、日本は米国など5か国と通商条約を結び、海外との本格的な貿易が始まりました。

当初、国内では金が銀と比べ割安となっていたため、金貨が海外へ流出しました。

海岸線の防衛の強化や幕末の政治の混乱が内戦を招く中で、財政支出に充てるため貨幣の発行量が増加し、インフレが進行しました。


明治時代を迎え新政府は、「両建て」の金貨・銀貨・紙幣を発行する一方、藩札の発行も認めましたが、社会の混乱が続き、新政府や藩などが増発した紙幣の価値は下落しました。


こうした中、1871年に明治政府は新貨条例を制定。全国統一の新しい貨幣単位である「円」(圓)の導入を行い、金貨・銀貨・銅貨を発行しました。

また、金銀と交換できる「兌換」を前提に政府紙幣を発行しましたが、政府の手元にある金銀が不足していたことから、その大部分は不換紙幣となってしまいました。



中央銀行としての日本銀行誕生

明治時代初期には、海外貿易や国内産業の振興を金融面で支えるため、欧米をモデルにした民間銀行が各地に設立されました。

このうち国立銀行は米国のナショナルバンクをモデルとしており、紙幣の発行が認められていました。


西南戦争の戦費などを賄うため、政府紙幣や国立銀行紙幣が増発され、紙幣価値の下落が進みました。

こうした中、大蔵卿となった松方正義は、銀行券を発行して紙幣の発行を一元的に行い、お金の価値を安定させることを目指し、1882年(明治15年)に日本銀行を設立。

そして1885年には、最初の日本銀行券が発行されました。


なお、1885年から1899年までに発行された日本銀行券は、銀貨との交換が可能な「兌換(だかん)銀行券」として世の中に流通しました。

1899年末には国立銀行紙幣と政府紙幣は通用停止となり、紙幣は日本銀行券に統一されました。


現在のお金の発行の仕組みについては「お金が発行される仕組みについて解説します!」で詳しくご紹介しています!



お金の歴史は経済の歴史でもある!

お金の起源や歴史をたどると、その時代の人がどのような経済活動を行っていたかを垣間見ることができます。


さらに、貨幣が先か、経済のシステムが先か、といった議論まであるのには驚きですよね。

数年後には新貨幣論が主流となっているかもしれませんし、もしかすると、第3の理論が出てきているかもしれません。

今までの常識がどんどん変わる瞬間を目の当たりにすることになるかもしれませんね。


ますますお金の起源や歴史から目が離せませんよ!

お金の起源や歴史についてもっと詳しく知りたい方は、東京の「日本銀行金融研究所 貨幣博物館」や名古屋の「三菱UFJ銀行貨幣資料館」を覗いてみることをお勧めします。

きっと新たな発見があると思いますよ。

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